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『冬夏春秋 総集編』


春と云えば、
土筆、
蕗の薹、
薇、
蕨、
独活。
さてこの五つのうち、
私がワープロに頼らず書けるのはどれでしょう。


――〈冬夏春秋〉 「春」 中表紙より――
 
 お内裏様とお雛様 二人並べて母の愛

 私の性別は生まれたときから30年間、ず〜っと女だ。
 今も昔も、生まれたマゴが女の子だったからひな人形を買ったという、おじいちゃんおばあちゃんの話をよく耳にする。 私の祖母もご多分に漏れず、初孫の私のためにいくばくかのお金をひな人形代として我が母(つまり自分の娘)に渡したらしい。
が。私はひな人形など見た覚えがない。
 よくある話である、それは生活費に化けてしまったのだ。
 しかもまだ私が片言もしゃべれない頃の話であるし、何より私は人形など買ってもらっても放ったらかして、 薄汚れたクマやパンダのぬいぐるみを愛でる子供であったので、 おひなさまなど無くても何ら問題はなかった。
 だが母は母なりにわが子を不憫に思ったのか、それとも単に趣味で作りたかったのか(たぶん後者だろう)、 折り紙や和紙で出来た立ち雛を色紙にはりつけたものを、小学校のPTAの文化教室でこさえてきた。
 以来十数年の間、桃の節句の時期になると手作りのペタンコのおひなさまが飾ってあったのだが、最近はその姿さえもとんと見ない。
 面倒くさくなったのか。忘れているだけなのか。それとも娘はもう嫁に行かぬ(行けぬ?)ものと決め込んで (諦めて)しまったのか(最後のやつだと悲しいものがあるな)。

 蛇足ではあるが最後にひとつだけ。
 弟は、ちゃんと五月人形を飾ってもらっていた。
 いいんだけどね、別に。  



 
 魅惑の菱形 餅屋の罠

 ひなまつりと云えば、実はひな人形よりも真っ先に思い浮かぶのがヒシモチである。 人形よりヒシモチ。花よりダンゴ。当然である。
 ピンクと白と淡い緑のヒシモチ。1つ400円くらいする。高価である。許せん。
 同じ高いモチでも、寒餅はまだ許せる。味がついていて、量もたっぷりとある。 特に豆や黒糖の物はなかなかに美味いッ、と思う(違うご意見も多々あると思うが)。 しかしそんな美味いものを母は買ってくれない。 「買うてー」というより先に「アカン、贅沢や」と一言で片付けられてしまうので悲しい・・・・・・って、 寒餅の話はこの際どうでも良い(本当は良くないが)、ヒシモチの話。
 ヒシモチは許しがたい。単に色がついているヒシ形のモチだというだけで、 なんであんなに高価なんだろう。
 ヒシ形に切るのに手間がかかるからか? 三色重ねてあるからかッ?!
 しかし、私はこの三色のヒシ形に弱い。ひな人形は欲しいと思ったことはないけれども、 ヒシモチは毎年食べたいと思う。
 あの配色がどうもイカン。ピンクは最も嫌いな色のひとつなのだが、 あれを見るとついフラフラと買ってしまいたくなる。 ピンクと白だけなら単なる紅白モチでどうということはないのだが、 淡い緑がプラスされることによってかもし出されている、幸せな春のオーラ。 あのヒシ形の絶妙の配色は、モチ屋の巧みな作戦に違いない。

 今年は食べられるだろうか。母は買ってくれるだろうか。あの幸せなヒシ形を・・・・・・ムリかな、ムリやな。 おひなさんも飾ってくれへんし(まだ云ってる)。今年もひなあられで我慢せなあかんか・・・・・・。
 400円やるからヒシモチを作れと云われても作れないので、 モチ屋の罠だと解っていてもその中に飛び込んでしまう。
 許せなくても、高くても、買いたくなる。

 ヒシモチ君。全くキミは・・・・・・罪なモチだ。
 


  * 職場近くの餅屋さんが、菱餅の切れ端をたくさんパックにつめて300円くらいで売るのを発見。
   カステラの切れ端を袋に詰めて売ってるやつの菱餅版ですね。なかには、なんとか菱餅の形を
   保っているものもあり、桐島は嬉々としてこれを買っていくのです。

 
 蓮華色のノスタルジア

 私は春があまり好きではない。
 けれど今思うと子供の頃の春は、結構楽しいことが山盛りだったような気がする。
 レンゲやタンポポを摘んだり、シロツメクサを編んだり、ペンペン草を鳴らしたり。
 カラスノエンドウをピーピーと吹いてみたり食べてみたり(マメだった)、
 レンゲの蜜を吸ったり(甘かった)、
 ヘビイチゴを食べてみたり(マズかった)・・・・・・。
 幼なじみや弟とままごとをして遊んだのも、だいたい春だったような気がする。
 今は外でままごと遊びなんぞをしている子供などめったなことで見かけなくなったが、稀にたんぼのあぜ道なんかで花を摘んでいる子を見かけると、すごくホッとしたりなんかして。
 春の日差しは眠っていた郷愁を呼び覚ます。私にとって古き良き時代とは、あの時代なのだ。

 自分の年齢を手の指だけで示すことが出来たあの頃。

 昔に帰りたいとは思わないが・・・・・・。


 私は春が----春の陽光が----あまり好きではない。
 
桜の死に様 宴の始末

   サクラ咲く サクラ散る散る 雨の宵

 ・・・・・・適当に詠んでみたがね、そこの君、どう思う?
 何? どこかで別の誰かが全く同じ歌を作っていても不思議ではないくらい単純な歌だって? ・・・・・・失礼なヤツだな君は・・・・・・まあ、その話はおいておこう。
 ところで春の花と聞けばたいていの日本人は桜を連想するんじゃないかい。 春はペンペン草だとかハコベラだとかいう桐島烏有みたいな天の邪鬼はこの際放っておく。
 桜の話だ。
 桜は散り際が美しい。桜吹雪の中は寡黙に歩むべきだね。 あまり大声でぺちゃくちゃと喋っていると桜のざわめきが聞こえない。 腕を組んでそぞろ歩くカップルなんかは多少大目に見てやってもいいがね。何しろ愛はすべてに優先する。
 少し脱線してしまったね。話を戻そう。桜だが・・・・・・満開の時期になると必ずと云っていいほど雨が降るだろう。
 雨に散る桜と云うのも、しっとりとしてまた格別の風情があっていいのだけれどね、あれがどうにもうまくない。
 あれだよ、ほら、アスファルト道路上の桜の屍体。ああなると桜も惨めだね。 アスファルトやコンクリートの地面ではなくて、本来果てるべき場所・・・・・・ ちゃんとした土の上ならばあそこまで醜く見えたりしないだろうと、僕は思うね。
 それに花見客が残して帰る塵芥の山。風流も何もあったもんじゃあない。宴会の後始末くらいはきっちりして帰って欲しいものだね。
 桜の死に様は人間の都合でどんどん醜くなっていくようだ。桜の身にもなってみたまえ、 彼らは儚く短い命を雨や風で散らすんだ、出来るだけ綺麗な場所で最期を迎えたいだろうに。
ねえ、そう思わないかい?






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