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裏切りのスイカ 「スイカは本当は野菜なんだよ」 よく耳にする話である。なんでも、果物というのは樹に実るものだから、 地面に転がっているスイカは野菜になるんだそうだ(しかしなんていい加減な説明なんだ!)。 スイカは漢字で「西瓜」と書く。要するにスイカは瓜なのである。 実はいつも偉そうなメロンたちも、所詮は瓜なのだが(ちょっと悪意を含む言い方だ)メロン はおいといてスイカの話。 本当は野菜なのに、なぜ果物売り場に並ぶのか。 それはスイカが他の野菜よりちょっと甘かったために、人間に妙に気に入られてしまったから じゃなかろうか。 で、地味な野菜売り場ではなく、華やかな果物売り場に陳列されるハメになる。 他の野菜たちの冷たい視線を浴びながら。 冷たい視線――裏切り者なのだろう、彼らにとってスイカは。 スイカは、炒められることも焼かれることも、煮付けにされることも、おひたしにされることも ない。人間はスイカの特徴そのものをすんなり受け入れてしまえたために、スイカをスイカと して食べる。たまにフルーツポンチなんかに入れられたりもするが、大抵は甘い生活を送る。 塩をかけられたりもするが、スイカの晩年は他の野菜ほどの刺激がなさそうなので、ちょうど いい塩梅かもしれない。 こう考えると野菜たちを裏切り、果物として生きるスイカの《菜生》って、あまり辛いことがなさ そうに思えてくる。実際野菜たちはそう思ってスイカを羨んでいるかもしれない。 しかしスイカも果物となったからには、それなりに悩みはあるのだ。 甘い果物の世界は決して「甘くない」のだ。 人間の口に合わない果物は、果物にあらずといった感じである。 丸ごと1玉のスイカを買ってきて、甘くなかったりすると、 「甘くないスイカなんて、ただのウリじゃないの! 残りのコレ、どうしてくれんのよ!」 と、ボロクソにけなされたりする。 だからスイカたちは、成長期に必死に甘くなろうとするのだろう。 中にいっぱいスジが入ってもいけない。 育ちすぎてもいけない。 人間の都合で果物として生きなければならなくなったスイカを、私はこの夏も食べるだろう。 もしもあなたがスイカを食べることがあったら、ちょっとだけ、彼らの複雑な心境を考えて、食べ てみて欲しい。あんなに水分が多いのは、泣いてるんじゃなかろうか、なんて。 余談だが、たまに漬物になっている小さなスイカを見かける。 あれはひょっとすると、かつて仲間であったはずの野菜に少しでも認めてもらおう、許して欲し い、という気持ちのあらわれなのかもしれない、と思う。 けど、それはやっぱ、考えすぎかな。 |
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